1912年(大正元年)のこの日、乃木希典(のぎ まれすけ、1849~1912年)大将が、
明治天皇の大喪の日に、夫人の乃木静子とともに殉死した。大喪(たいそう)とは
天皇の葬儀のこと。乃木大将は62歳であった。この日は乃木大将の忌日であり、
「乃木忌」や「希典忌」とも呼ばれる。乃木大将は、江戸の長府藩上屋敷で生まれた
長府藩士で、日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、上記のように明治天皇の後を
慕って殉死したことで国際的にも著名である。階級は陸軍大将。第10代学習院長に
任じられ、後に昭和天皇となる迪宮裕仁(みちのみや ひろひと)親王の教育係も務めた。
「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることが多い。
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